2014年06月13日

糖質制限食に辿り着くまで

私は1999年のはじめに糖尿病とわかり即入院されかけたけど、
すぐ近所だったので通院で頑張ることになりました。
記録は残ってないけど、A1cは11〜12、インスリンは朝8単位、夜4単位から始まりました。
10年前から西野流呼吸法の稽古をやっていたので病気には縁がないと思い込み、
96、97年頃から糖尿病の症状は出てましたが無頓着を貫き、どんどん悪化させました。
98年の暮れにはついにリウマチまで発症してしまいました。
直接の因果関係はないのでしょうがとにかく身体はボロボロだったから
リウマチの発症に繋がったのだと思います。
当時の症状は坐骨神経痛そのものでした。
当時呼吸法の生徒さんで薬品メーカーさんがいて、その人が言うには私は糖尿病じゃないかと。
そんなわけで近所の病院へ行き診察してもらいました。
自分で糖尿病を疑い病院へ来た人は初めてだと言われました。
インスリンの注射は続けながら即おかずだけ食べるようにしました。
というかご飯だけ食べなかったです。
麺類やパンは食べていましたが肉と砂糖と油は絶ちました。
それでもA1cの値は下がり数ヶ月でインスリンの注射はしなくなりました。
その間、呼吸法は真剣に稽古をしました。
その頃に炊飯器を購入しご飯もしっかり食べるようにしました。
2ヶ月もしたら血糖値が上がりだしインスリンの注射が復活しました。
それから10年近く、A1cの値は7ポイント台をキープしていました。
これは呼吸法のおかげだと思っています。
ただ私の力ではこれ以下にはすることが無理でした。
しかし運は見捨てることなく糖質制限食との出会いを演出してくれました。
長年の呼吸法の稽古で自分にはいいものを判断する力が身につき
即ゲットすることができるようになっていました。
糖質制限食をゲットしてからはA1cの値が7ポイント台から6ポイント台へ、
最近では5ポイント台になり、長年のインスリンからおさらばもできました。
今では肉卵チーズ(MEC)に近い食生活になっています。
なんの抵抗もなく糖質制限食をチョイスした自分をほめてあげている自分がいます。
これはひとえに西野流呼吸法を継続した自分がすごかったと自慢しています。
p.s.
何が言いたいかというと、チョイスしてそれがすぐに反映できる細胞だったということです。
これは西野流呼吸法が素晴らしいということです。
ちなみに今日はリウマチの検査で病院へ行きましたが、
なんの気まぐれかA1cのチェックをしてくれました、しかも2回。
値は今までにない、5.5で再検査では5.1でした。

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しぇんしぇい
西野流呼吸法とソシアルダンスと海外ミステリをこよなく愛しているおいさんの Diaryです。
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