2012年08月27日

あげはさんの韓国批判記事

全文引用します。
あげはの夢 日記

日本は金 韓国は銅〜印綬の話〜


ふんふんふん♪ 別に喧嘩売るわけじゃ 有りませんが 何でかなあって 私が思った話し。


昔 中国は 周辺諸国の王様に 印綬を贈る事が有りました。
まあ 「うちの家来として 認めてやるわ」 という証です。


上等な順に 玉 金 銀 銅 という材質になり 更に綬の色で 上から多色(皇帝は6色)
萌黄 紫 青 黒 黄 となり 更につまみの部分には 多く動物がデザインされていました。


皇帝の印は 玉璽 です。


志賀島でみつかった国宝 「漢和奴国王印」 と 文献には記載が有るけれど みつかっていない卑弥呼が貰った 「親魏倭王印」 は 金印紫綬。


漢和奴国王印のつまみには 蛇の造詣が施されていて 潤沢な地を表現していると 言われております。


琉球が貰っていた 「琉球国王之印」 は鍍金銀印 ラクダのデザインです 。 


しかし 韓国の李朝が貰っていたのは 銅印です。


日本は 貰ったのは貰ったのですが その後 聖徳太子が 「日野ずる処の天子…」 という国書を書いています。


今思うと 聖徳太子は 「うちは 独立国だからっ 別に 家来じゃないからっ」 と言っているように 私には 見えます。


しかし 遣隋使を務めた小野妹子は 隋の皇帝からの返書を失くしてしまった事にしました。 皇帝が 返書に 家来扱いする事書いたので これ以上揉めたらヤバイと 隠蔽したのでは と言われております。



真相は もう わからないでしょうけれどね(笑)



金印と 銅印の差は 象徴的なものではなくて 例えば 金印なら 中国の使節がやって来ると 自分のうちで出迎える事が許されますが 銅印や銀印だと 外まで出迎えに行き しかも 三跪九叩頭(ひざまづき 額を地面につける礼)で 迎えなくては ならなかったのよねえ。



琉球の場合 三跪九叩頭は 守礼門で行われました。


貰った時代が違うとはいえ 李朝は あんまり 中国の皇帝に可愛がられていなかった ようです。


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西野流呼吸法とソシアルダンスと海外ミステリをこよなく愛しているおいさんの Diaryです。
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